ジェイムズ・ジョイス 事故の痛み

 
 
 
事故の痛み

 ジェイムズ・ジョイス
 『ダブリン市民』 (1914) より

 
 
 ジェイムズ・ダフィー氏が郊外のチャペリゾッドに住んでいたのは、ダブリン市民ではあるものの市街からは出来るだけ距離を置きたかったからで、ほかの郊外はどこも品がなく、今風で気取りがあると思えた。古くて陰気な一軒家の窓からは蒸留酒製造所の廃屋が中まで見え、その向こうには東の市街まで流れていくリフィー川の浅瀬も見えた。天井の高い部屋に絨毯は敷かず、壁に絵など掛けたりもしなかった。部屋の家具は全て自分で選んだもの。黒い鉄製の寝台に同じく鉄製の洗面台、籐椅子が四脚、洋服掛けに石炭バケツ、炉格子に炉辺用鉄具、四角いテーブルの上には書き物台。白木の本棚は壁に造りつけてあった。寝具は白で統一して足元を黒と赤の膝掛け毛布が覆っていた。洗面台の上に手鏡が掛かっていて暖炉の飾り棚には白い笠のランプがひとつ立っているだけ。白木の本棚にはかさばる順に下から上へ本が並んでいた。ワーズワース全集は最下段の端、『メイヌース教義問答集』は手帳の布表紙に綴じ込まれて最上段の端に並んでいた。文房具はいつでも書き物台の上にあって台の中にはハウプトマン、『マイケル・クレイマー』の翻訳草稿、ト書は紫のインクで書き込んで、真鍮ピンで留めたメモ用紙と一緒にしまってあった。時おりメモ用紙に文章を書き付けるのだが、ある時馬鹿らしくなって胃腸薬の広告見出しをその上にぺたんと貼り付けてしまった。書き物台の上蓋を持ち上げるとかすかに香りが洩れ出た――買って間もないスギ材の鉛筆かゴム糊の瓶、あるいは置き忘れた林檎が熟し切ったのかも知れなかった。
 ダフィー氏は部屋の中でも心の中でもきっちり整理整頓できていないと気が済まないのだった。中世の医者なら陰気な土星気質と呼んだろう。年齢を刻んだその顔はダブリンの街並みに似て茶色がかっていた。面長で、大きめの頭には艶のない黒髪が生え、黄褐色の口ひげの下からは無愛想な口もとがのぞいていた。頬骨にも性格のきつさが出ていた。一方で目もとに厳しさは無く、黄褐色の眉毛の下から世間を見るさまは、ひとと手を取り合おうとすると肩透かしを食う男、といった感じだった。体から少し距離を置いて、自分のする事を横目で胡散臭そうに眺めていた。奇妙な自叙癖があって時おり頭の中で自分のことを短い文章にした。主語はダフィー氏、述語は過去形。物乞いに施しはせず、丈夫なハシバミのステッキを手に歩く足取りは確かだった。
 仕事は会計係で、バゴット街の個人銀行に長く勤めていた。毎朝チャペリゾッドから路面電車で通った。正午にはダン・バークで昼食――ラガービールひと瓶に葛粉のビスケットが小皿にひと皿。四時には仕事から解放された。夕食はジョージ街にある安食堂で、そこならダブリンの金を持った若い連中に出食わす恐れもなく、料理は質素だがその分値段は安かった。夜は女家主のピアノを弾くか、街の外れを散歩して過ごした。モーツァルトの音楽が好きでオペラやコンサートに行くこともあって、気晴らしと言えるのはそれだけだった。
 ダフィー氏には仲間も友人もおらず、教会や信心とも無縁で、精神生活をひとと共有する事もなかった。クリスマスには親類を訪ね、誰か亡くなると共同墓地まで付き添ったが、それだけやれば伝統とやらに義理立てした事にはなると思って、市民生活を律するそれ以外の因習には何一つ譲歩しなかった。場合によっては勤め先から金を持ち出してやろうかと思う事さえあったのだが、そんな場合などなくて、毎日は変わり映えなく過ぎていった――取り分けて話すような冒険は何も。
 ある夜、ロータンダのコンサートホールでダフィー氏の隣に女性がふたり座った。客席はまばらで話し声もしない、失敗が目に見えるようで気が滅入った。隣りに座った女性ががらんとした客席を一、二度見回してから言った。
 ――今夜は人が少なくて残念ですね! からっぽの客席に向かって歌えなんてひどい話ですものね。
 何か答えるのが礼儀だろうと思って会話を始めた。少しも物怖じしないので驚いた。話しているあいだ、姿を記憶に焼き付けようとしていた。隣の女の子は娘だと聞いて自分より一つか二つ年下だろうと踏んだ。知的な横顔に若い頃の美貌が透けて見えた。瓜実顔は彫りが深く、藍色の瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。はじめ挑みかかるようだった眼差しは、瞳孔が虹彩藍色に霞むと焦点を失って、一瞬だけ包み込むような優しさを感じさせた。瞳孔はすぐに黒を取り戻し、垣間見せた素顔はまた慎重に隠されて、黒い毛皮のジャケットに縁どられた胸の曲線が挑みかかるような印象をさらに強めた。
 数週間たってからアールズフォート台地のコンサートでまた会ったので、娘がよそに気を取られている隙に会話を重ねた。何度か夫の話が出たが警告している感じでもなかった。名前はシニコー夫人。夫の高祖父はイタリアのレグホーン出身。夫はダブリンとオランダを往復する商船の船長。二人の間に子どもが一人。
 偶然の出会いが三度重なりダフィー氏は思いきって会う約束をした。夫人は来た。それから何度も会うようになった。いつも夕方に待ち合わせて静かな場所ばかり選び、肩をならべて歩いた。ただダフィー氏がこそこそするのを嫌ったので、人目を忍んで会わざるを得ないと分かると家に招待させた。夫の船長は娘の求婚者だろうと思っていつでも来てくださいよと言った。妻をそういう目で見る事はもうなかったので、他人が興味を持つとは夢にも思わなかったのだ。夫は仕事で海の上、娘は音楽を教えに家をよく空けたので、ダフィー氏が夫人と二人きりになれる機会は充分にあった。ふたりともこんな冒険は初めてで疚しさも感じなかった。少しずつ自分の考えを夫人のそれと絡み合わせていった。本を貸し、物の見方を教え、知的生活を共有した。夫人は何でも聞いてくれた。
 ダフィー氏の持論に相づちを打つように、時おり夫人は自分の事を話した。ほとんど母親のような気づかいで、考えていることは何でも話して下さいと言った――夫人はダフィー氏の聴聞司祭になった。アイルランド社会主義協会の会合に出ていたときの話ですが、薄暗い石油ランプ一つきりの屋根裏で生真面目な労働者二十人ほどに囲まれていると自分は異質だと感じましたよ。協会が三派に分裂して別々の代表者と屋根裏を用意したのを見て行くのをよしましたけどね。議論なんて腰抜けで賃金に対する関心は尋常じゃないし、要するに強面の現実主義者の集まりで、品性を養うのに必要な閑暇が自分達の手の届かない場所にあるのが我慢ならないんでしょうね。ダブリンで社会主義革命なんて起きませんよ、数世紀はね。
 どうしてご自分の考えを発表なさらないんですかと夫人が訊いた。何のためです、軽蔑もあらわに訊き返した。口は達者なくせに自分の頭では連続して六十秒も考えられない連中と張り合うんですか? 倫理は警官まかせ芸術は興行主まかせの頭の鈍い中流階級にあら探しをさせるんですか?
 夫人の小別荘がタブリン市外にあってよく訪ねた。夕方よく二人きりで過ごした。少しずつ、考えが絡み合ってくると、話題にも隔てがなくなっていった。そばにいると異国の植物になって土の温もりに抱かれるような気がした。夫人がランプに火を付けず、暗がりに身をまかせる事も珍しくなかった。暗い部屋のなか誰にも知られず邪魔されず、音楽は今も耳に響いて二人を結びつけた。この結びつきにダフィー氏の心は高まり、性格の棘は抜け、精神生活は霊感に満ちた。部屋に響く自分の声に聴き入っているような瞬間があった。この人の藍色の瞳に自分は聖者のように見えているのだろう――相手の熱情を強く惹き付けていくうちに、自分の声がどこか遠くの方から、魂の孤独に救いはないと繰り返すのを聞いた。声は言った。自分の全てを与える事はできない。私達はみな独りだ。二人きりで話した最後の夜、感極まったシニコー夫人がダフィー氏の手を握りしめ、火照った頬に押し当てた。
 ダフィー氏は心底驚き、自分の言葉をそんな風に解釈されて目が覚めた。訪問を控えて一週間経ってから会ってくれるよう手紙を送った。最後の面会はあの汚れた聴聞室から切り離したかったのでフェニックス・パークの正門近くにある小さなケーキ屋で会うことにした。秋の寒い日だったが気にせず公園の道を行ったり来たりして三時間が過ぎた。関係は終わりにしようと決まった。人を繋ぐ絆は、別れの哀しみにも繋がっているんです。公園から出ると路面電車まで黙って歩いて行った。だがここで夫人が激しく震え始めたので、もう一度へたり込まれる前に短く別れを告げて置き去りにした。数日後、貸した本や楽譜の入った小包が届いた。
 四年が過ぎた。ダフィー氏の生活は以前の単調なものに戻っていた。部屋は相変わらず整然としていて、ダフィー氏の心象風景そのものだった。新しく買った楽譜が何冊か、一階の部屋にある譜面台に積み重ねられ、本棚にはニーチェが二冊、『ツァラトゥストラかく語りき』と『愉しい知恵』。書き物台の中のメモ用紙に書き付ける事は滅多になかった。シニコー夫人との最後の面会から二ヶ月後に書かれた文章にはこうあった。男と男の間に愛情はありえない、性交渉を避けねばならないから。男と女の間に友情はありえない、性交渉を避けられないから。鉢合わせを恐れてコンサートから足が遠のいた。父が亡くなり、出資社員の一人が退職した。ダフィー氏は変わらず朝には路面電車で市街へ行き、夜はジョージ街で質素な夕食を摂り、食後に夕刊を読むと徒歩で帰途に着いた。
 ある夜、コーンビーフをキャベツに包んで口に入れようとしたところ、手が止まった。水差しに立て掛けた夕刊の記事に目が釘付けになっていた。キャベツは皿に戻して記事を注意深く読んだ。水を一杯飲んでから皿を脇へ押しやって二つ折りにした夕刊を両手で握り締め、記事を何度も読み返した。冷たくなったキャベツに白い脂が浮き、ウェイトレスが来てちゃんと火が通っていませんでしたかと尋ねた。いや料理は大変結構。答えて二口ほど無理に押し込んだ。払いを済ませて店を出た。
 十一月の夕暮れの下を足早に歩いた。丈夫なハシバミのステッキが規則正しく地面を打ち、黄褐色の『ダブリン・イブニング・メール』が細身のコートの脇ポケットから覗いていた。フェニックス・パークからチャペリゾッドに出る人通りのない道まで来て歩調を緩めた。ステッキが地面を打つ音にも力がなくなり、不規則に吐く息は溜め息のように漏れ出て冬の外気に白くなった。自宅に着くなり二階の寝室へ上がってポケットから新聞を取り出し、窓辺の薄明かりに照らして読み返した。声には出さず司祭の密唱のように唇の動きだけで読み上げた。記事にはこう書かれていた。

  シドニー・パレードで女性死亡

       痛ましい事故

 本日、ダブリン市立病院にて代理検死官(レヴェレット氏不在のため)により、昨夜シドニー・パレード駅で死亡したエミリー・シニコー夫人(43)の検視が行われた。調べによると、死亡した女性は線路を横断しようとしたところ、キングズタウン十時発の普通列車の機関車にはねられ、頭部と右腹部に外傷を負い、死亡する至った。
 勤続十五年の運転士ジェイムズ・レノンの供述によると、車掌の笛を聞いて発車させたところ、直後に叫び声がしたのでブレーキを引いた。列車は徐行していた。
 荷物運搬人のP.ダンによると、発車直前に一人の女性が線路を横断しようとしているのに気付き、走り寄って大声で呼び止めたが間に合わず、女性は機関車の緩衝器に衝突、地面に倒れた。
 陪審員――女性が倒れるところを実際に見ましたか?
 証人――はい。
 巡査部長クローリーの証言によると、現場に駆け付けた際には女性はすでに亡くなっており、プラットホームに横たわっていた。待合室に遺体を運ばせ、救急車の到着を待った。
 巡査57Eがこの証言に同意している。
 ダブリン市立病院の住込み外科医助手、ハルピン氏によると、遺体には下部の肋骨二本に骨折、右肩に強度の挫傷が見られた。頭部右側の負傷は倒れた際に負ったものであるという。外傷は健康な人間を死に至らしめるようなものではなく、死因は事故の衝撃が引き起こした急性心不全によるものであるとしている。
 鉄道会社を代表してH.B.パターソン・フィンリー氏が事故に対し、深い遺憾の意を表した。同社は日頃から安全策を徹底しており、利用客が陸橋以外の手段で線路を横断することがないよう、各駅に掲示で注意を呼び掛け、踏切には特許取得のバネ式遮断機を設置している。故人は以前から深夜にプラットホームからプラットホームへ線路の横断を繰り返しており、事故発生の状況を鑑みても当社に責任はないと思われる、と氏は述べた。
 故人の夫、シニコー船長も証言台に立った。船長はシドニー・パレード、レオヴィル在住。故人は自分の妻であり、今朝ロッテルダムから帰国したばかりで事故当時はダブリンにはいなかったと証言している。結婚して二十二年、円満に暮らしていたが、二年ほど前から妻は飲酒に耽りがちだったと言う。
 メアリー・シニコーさんは母親が最近になって頻繁に夜遅く外出し、蒸留酒を買って来ていたと証言している。飲酒を控えるよう何度も説得し、禁酒会に入るように勧めていた。証人が帰宅したのは事故が起きてから一時間後。
 陪審は医学的証拠に基づき、運転士のレノンに無罪評決を下した。
 本当に痛ましい事故です、と代理検死官は述べ、シニコー船長と娘のメアリーさんに心からの弔意を表した。鉄道会社には同様の事故が今後起きないよう、安全策のさらなる徹底を求めた。陪審は鉄道会社に法的責任を認めなかった。

 ダフィー氏は新聞から目を上げて窓の外、陰気な暮れ方の景色を見つめた。リフィー川が蒸留酒製造所の廃屋近くを静かに流れ、時おりルーカン道路沿いの家に灯りが付いた。何という終わり! 死を物語る一字一句に吐き気がし、夫人に心の内を明かした事さえ忌々しく思われて来た。陳腐な紋切り型、安っぽい同情の文句、遺族に抱き込まれた記者の、通俗的な死の真相を伏せる慎重な書きぶり。吐き気を覚えた。死によってこちらの人生にまで泥を塗った。顔を赤らめ、酒の臭いをさせて夜の街を歩く夫人の醜態を目の前に見る思いだった。わが心の友か! ふらついた酔っ払いが自前の缶と瓶を持ってバーテンダーに酒を注いでもらうさまを思い浮かべた。何という終わりだ! 夫人に生き抜く力も意志もなかったのは明らかだ。悪癖にたやすく溺れる、文明に押しひしがれた敗残者のひとりだった。しかしここまで堕ちてしまえるとは! 今の今まで思い違いをしていたなどという事があり得るだろうか? 最後の夜に見せた激情を思い出し、以前よりもさらに手厳しく受けとめ直した。ダフィー氏は自分の選んだ道にもう何の疑いも感じなかった。
 薄明かりが夜の闇に消え、記憶がさまよい始めると、女の手が自分の手に触れたような気がした。記事の衝撃は吐き気からめまいに変わっていた。急いでコートを着、帽子をかぶって家を出た。戸を開けると冷え込んだ外気が体を包み、コートの袖口から忍び込んで来た。チャペリゾッド橋の酒場まで来ると、中に入ってウイスキー・パンチを頼んだ。
 店主は腰は低かったが話し掛けてはこなかった。店には労働者が五、六人いて、財産家がキルデア州に持つ土地の評価額についてあれこれ議論していた。議論の合間に半リットルの大コップから酒を飲み煙草を吸い、しきりに床に唾を吐いて時々ブーツで唾の上におがくずを掛けた。ダフィー氏は丸椅子に座って労働者のほうを見ていたが、姿は見えず声も聞こえていなかった。しばらくして労働者は店を出た。ウイスキー・パンチをもう一杯頼んだ。二杯目は長くかかった。店は静かだった。カウンターに腕を伸ばして『ダブリン・イブニング・ヘラルド』を読んでいた店主があくびをした。時おり人通りのない道を路面電車の走る音が聞こえた。
 そうやって座ったまま、一緒にいた頃の事を思い返し、女に抱くふた通りの印象を交互に呼び起こすうち、実感が湧きはじめた。夫人は死んだ、もうこの世にはいない、のこっているのは記憶だけ。不安に落ち着きを失った。他にどうしようがあったと言うのか。茶番じみた不義を続けることなど出来なかったし公然と一緒に暮らすことも出来なかった。自分は正しいことをしたはずだ。どうして私に責任があるのか? 死んでしまった今になってはじめて、女が夜ごと、あの部屋に独りで過ごした時間の孤独を感じた。自分のこれからも孤独だろう。死に、この世を去って、記憶だけになるまで――憶えていてくれる人がいるとすれば。
 店を出た時には九時を過ぎていた。寒く、重苦しい夜だった。正門からフェニックス・パークへ入り、痩せた木々の下を歩いた。荒涼としたこの道は四年前に二人で歩いた。闇のなか、女がすぐそばにいるような気がした。何度か声が聞こえた。手が触れた。立ち止まって耳を澄ました。どうして愛してくれなかったの? どうして死を選ばせたの? 組み上げた倫理が崩れ落ちるを感じた。
 マガジン砦の頂で立ち止まり、リフィー川が東へ、ダブリン市街まで流れていくのを目で追った。寒い夜に街の灯は煌々と、迎え入れるように灯っていた。傾斜に目を落とすと降りた先、外壁の暗がりに横たわる人影を見た。金で買ったうしろ暗い情交に寒気を覚えた。正しさだと思っていたものを奥歯で噛み締めた。生きる歓びは手の届かない場所にあった。愛情を示してくれたひとりの人間と生きる事を拒み、幸せを奪った。代わりに屈辱を、恥ずべき死の判決を下した。暗がりで横になった生き物が睨んでいた、向こうへ行け。愛してくれる人はどこにもいない。生きる歓びには手を伸ばしても届かない。目を転じて鉛色に鈍く光る川が市街まで蛇行するのを見た。川の向こう、貨物列車がキングズブリッジ駅を出て、同じく蛇行を始めた。頭を燃え立たせたミミズが闇の中をうごめくように根気強く、一心不乱に。ゆっくりと視界から消えた。見えなくなった後も機関車の鳴らし続ける低音が女の名前を刻んで耳に響いた。
 来た道を戻る。機関車の刻む音がまだ耳を打つ。記憶のなかにあるものが本当なのか、信じられなくなっていた。木の下に立ち止まって音が退くのを待った。暗闇に女の気配はなく、声も聞こえなかった。数分動かずに耳を澄ました。声はしない、夜はどこまでも静かだ。もう一度耳を澄ます。どこまでも静かだ。自分は独りになった。

 
 
A Painful Case
- James Joyce, Dubliners 1914
 
 

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